2016年05月26日

描き直し5「法王」について

今回の描き直しシリーズ5枚目で、「法王」のカード。大アルカナに大幅な手直しです。

法王や教皇のイメージを明確に持っている日本人なんていないのだから、このカードにはずっと苦戦していました。
では当時のキリスト教や仏教国家などにおける法王の位置付けってなんや?っていうと、君主に匹敵するくらいの「最高指導者」なわけです。と言われても私にもわからないのですが、簡単にいえばトップ。国家は王様だけで成り立っているのではなく、王様と教会(教会のトップが法王)で成り立っている。現在の三権分立みたいなもので、二つの力と民衆という三つの方向への力が支え合って国家が成り立つというシステム。これによって独裁政権が防がれる大切な三角です。教会は立法そのものでもありますが、それだけではなく、国家が共有する道義心や公徳心や奉仕的活動なども支える精神的支柱でもある。

占星術で言うところの、9室と10室がこれですね。日本も戦前は9室に天子が君臨されていたため、日本人全体の精神性の象徴として首相と共に国家が三本の柱で成り立っていた。しかし敗戦後、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される、いわゆる「人間宣言」を発布。これにより、同じ9室が支配する「大学」つまり学歴信仰が日本の精神的支柱担うしかなかったわけです。

西洋では他人を信用するための材料が「何を信仰しているか」の部分で成り立っているため、裁判の前に聖書に誓いを立てたり、面接で信仰対象を尋ねられたりするわけです。結婚する前や交際が始まって間もなくも、信仰の話題を避けることは難しい。例えばアメリカの面接で信仰対象を尋ねられて「無神論者」であることを伝えるにはそれなりの覚悟と気骨がいる。無神論者だと宣言するということは、「私には何の名においてでも守る精神性や道義心を持っていないので、いつあなたを裏切ったり不道徳な行為を行うかわからないよ。場合によっては刺しちゃうかもね。」と言っているようなものなのだ。

日本では信頼関係を築くために学歴をたずねる。「こいつは東大を卒業しているのだから、突然私を刺してきたりはしないだろう。」だとか、「偏差値30の高校しか出ていないなんて、まともな仕事を頼めないぞ。」などとの判断基準になる。
なので、ある意味キリスト教社会やイスラム社会で無神論者だと公言することは、日本で「中卒でーす!」と言っていることに近い印象を相手に与えていると思ってもいいのかも(笑)「それでもいいよ!」って言ってくれる雇い主もいれば、「今回はご縁が無く・・・」と拒絶される雇い主もいる。

ところで、大学制度が崩壊しつつある近代ではこの学歴信仰すらままならなくなった日本は、かつてのローマのように9室(教会)が威厳を失って国家が衰退するのかもしれない。9室を補おうとする国民的直観が、今の過激な保守や熱狂的な右派傾向を生んでいるのだとしたら、それは自然な流れなのでしょう。ただし、日本は古来から9室10室以上に3室4室の女神信仰と八百万の神、家族制度が屈強。だから、日本は個々人の努力や能力が平均的に異常に高い。それに首相が甘える構造。老人介護や保育やごみの分別や老後の貯金などの本来社会福祉が担うべき部分を大幅に国民に委ねている。逆にいえば、国民のほうでも、取り仕切って責任をとる支配的なリーダーをそもそも望んでいるわけではないのかもしれません。根っからの個人主義。危険なのは、行き過ぎた個人主義が個人の首を絞めている状況ですね。日本の創始図は、戦前も戦後も民衆を示す月が、風のサインにあることが興味深い。



さて、描き直されたタロットの「法王」に話しを戻しましょう。この建物は、千葉県の下総中山駅北側にある法華経寺にある聖教殿。下総中山には17年間住んだので、つい先日御礼参りに訪れました。モダンな石造りの聖教殿は、インドの建築様式である仏塔形式を取り入れた建物だそうです。塔身軒廻りには仏教における霊獣の石造が施されている。建物内部には、日蓮大聖人の御真筆などの宝物が収められています。

子供たちが小さいころは、よくこの建物の前で遊んだものですが、そこに仏教的意味を見出していたわけでは全くない。感覚としては、御鎮守様の境内で子育てさせていただいているというもののほうが近い。手を合わせたことは一度もないが、法華経寺の広大な敷地内部の広場にある建物なので、失礼のないように振る舞っていたような気はする。今回絵を描くまで、建物内部に日蓮様の御真筆あ収められていることだって知らなかった。しかし土地を離れて何年もたってから、ふとお礼参りしたくなるようなそんな場所です。私のつたない子育てを見守ってくださった感謝の気持ちの拠り所みたいな。

今回あらためて訪れてみて、この建物の神々しさに正直たじろぎました。そして、私の「法王」これでいいや!と心に決めたのです。

TheHierophant.jpg

ここを訪れるちょっと前に、埼玉県の氷川神社で横尾忠則さんの御朱印帳を購入して、そのとき見せていただいた原画の印象が強すぎて、背景がその影響を受けています(笑)


posted by emi at 20:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

女教皇描き直し線画

熊本の山寺を訪れると、震災で五輪塔が倒れていて、その中に光る石が入っている夢をみました。その石は「隠者」のカンテラの中に輝く暗闇を照らして魂を導く真理の石だと直観的に理解する夢。

女教皇は、生命の樹では中心の柱である均衡の柱をケテルからティファレトへと貫くパスに位置するカード。ケテルとティファレトの間には「隠された知識(ダアト)」のセフィロトがあり、女教皇が手にする書物には「隠された知識」が書き記されていると思われる。玄奘三蔵が西へと旅して求めた経典みたいなものですね。

中心の柱である均衡の柱には三つの大アルカナ「女教皇」「節制」「世界」が対応しており、その最初の「女教皇」は、神(原型)アツィルトの世界から霊(創造)ベリアーへと光を下す最重要なパスを担っている。それだけに、そこに描かれる象徴は左右の柱から、中心のティファレトに接触するパスに該当するカードに描かれる象徴のすべてを内包していると考えてよいのかもしれません。

だから、私が夢でみた「光る石」がケセドからティファレトへ至るパスに該当する「隠者」のカンテラの光であることは自然だと思われます。
ちなみに、コクマーからケセドのパスに該当する「法王」の聖教殿に収められている日蓮大聖人の御真筆はJKが持っている「隠された知恵」の書と考えていいです。ライダー版の法王の足元には鍵のクロスが描かれたアークがありますが、それの中に女教皇のTORAの書が入っているのです。

それで、私は昨日疲れ切った頭で女教皇カードの下描きに緑の文字で入れた解説では、JKの頭に輝く冠に「太陽」と書いてしまったのですが、「星界」あるいは「天王星」が正しいです。なぜなら、セフィロと諸天の対応ではケテルは「光の世界」あるいは「星の世界」である「原初動」、あるいは「天王星」が関係しているからです。足元の月はティファレトをすっとばしてイエソドの月ですね。
「節制」では頭に「太陽」足元に水つまり「月」で、これはティファレトからイエソドのパスに位置しているカードとして単純にそれが描かれています。


highpriestessnew2.jpg


補足)近代ではトランスサタニアンが当てはめられることの多い、ダアト、ケテル、コクマーの惑星対応ですが、諸説いろいろあって混乱される方が多いかと思いますが、私はケテル天王星、ダアト冥王星、コクマー海王星の対応をとっています。たまにビナーがトランスサタニアンになっているものも目にしますが、それは違う。ビナーは土星。
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2016年05月20日

78分の57

タロット制作57枚目は、コートカードペンタクルスのキング。

kingofcoin2.jpg

やだ、かわいい!キングなのに子供やん!という突っ込みを経て、おっさんの絵が描けない私が「これでいいのだ」に至った理由を説明しますね。

コインのスートは、豊かさと実り、才能と技術を扱うスート。それがコートカードになると、血統の正当性や生まれの高貴さ。才能と美貌と、それから政治力を持ち合わせた人物と考えられます。ラストエンペラーや壇ノ浦で身投げした幼い安徳天皇のイメージ。安徳天皇は山羊座の0度生まれと、「戦国武将タロット」の著者ラクシュミーさんが教えてくれたので、実際に土の王様だったんですね。

ワンドのキングは、燃え盛る野心を戦闘と支配力によって花咲き乱れる王国を勝ち取った王様
カップのキングは、血と義理と人情によって強大なファミリーを築いたオヤジ様
ソードのキングは、知恵と策略を駆使しながら人気と名声を手に入れてのし上がったカリスマ
ペンタクルスのキングは、高貴な生まれとたぐいまれな美貌に抜かりない政治力を兼ね備えた天子

どのスートの王様が好みですか?


posted by emi at 12:06| Comment(0) | タロットカード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

78分の56

タロットカード制作の56枚目は、ソードの7。

カップ7に続けて小アルカナ7枚目シリーズ。7枚目のカードは、どのスートにおいても複雑な巧みさを発揮。水ではその受動的な愛着の性質が洗練されきった結果の「目移り」や「よりどりみどり」状態でした。ソードにおいてはその策略的で知性的な性質が極まります。5枚目で相手をやり込めすぎて総スカンをくらい孤立してしまった経験から、6枚目で一端戦いの場を退き、7枚目では、剣を二本残して必要分だけ持ち去る巧みさを発揮します。そうすることで、十分遠くまで逃げ切ることが出来るだけではなく、敵に諦める余地や譲歩する余地を残し、より自由な空の下へと飛び出してゆくことができるのです。

私の絵では、少女が家に手を振りながら外へ出てゆく様子を描きました。独り立ちでしょうか?家出でしょうか?それともただ遊びに行くだけなのか。いずれにせよ、家人を安心させる要素として家に二本剣を残し五本もの剣を持ってゆくのです。

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私の育った家は、姉と私の二人姉妹。2人共結婚して遠方に巣立ってゆきました。
育ててくれた両親はどんな気持ちだったのでしょうか?私の両親は進歩的で型破りな考えを持っているので、いわゆる「嫁に取られた。さみしい。」といった感想は一切言わなかったものの、現実として私たち二人は遠く離れて暮らし、正月やGWといった年中行事のときはたいてい夫方の実家で過ごすか家族旅行に行ってしまうかで、実家に帰ることはめったにありませんでした。孫の出産や進級のときはお金は出すが口は出さぬ状態で、自分たちの財産も家もしきたりも何もかも自分たちでエンジョイしながら使い切ってバイバイ!というスタンスで私たちと関わってくれた両親でした。

女の子に限らず、子が家を出るときはいつも5本の剣、つまり自宅の多くの資材を盗んで出てゆくようなものかもしれません。わずか二本だけの残した剣は、育ててくれた家族に対する感謝の気持ちと、一緒に過ごした記憶くらいです。後は全部持って行ってよその子になるのです。それだけに、残された二本の剣の重要性に改めて思いを馳せます。
posted by emi at 20:33| Comment(0) | タロットカード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする