今回の描き直しシリーズ5枚目で、「法王」のカード。大アルカナに大幅な手直しです。
法王や教皇のイメージを明確に持っている日本人なんていないのだから、このカードにはずっと苦戦していました。
では当時のキリスト教や仏教国家などにおける法王の位置付けってなんや?っていうと、君主に匹敵するくらいの「最高指導者」なわけです。と言われても私にもわからないのですが、簡単にいえばトップ。国家は王様だけで成り立っているのではなく、王様と教会(教会のトップが法王)で成り立っている。現在の三権分立みたいなもので、二つの力と民衆という三つの方向への力が支え合って国家が成り立つというシステム。これによって独裁政権が防がれる大切な三角です。教会は立法そのものでもありますが、それだけではなく、国家が共有する道義心や公徳心や奉仕的活動なども支える精神的支柱でもある。
占星術で言うところの、9室と10室がこれですね。日本も戦前は9室に天子が君臨されていたため、日本人全体の精神性の象徴として首相と共に国家が三本の柱で成り立っていた。しかし敗戦後、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される、いわゆる「人間宣言」を発布。これにより、同じ9室が支配する「大学」つまり学歴信仰が日本の精神的支柱担うしかなかったわけです。
西洋では他人を信用するための材料が「何を信仰しているか」の部分で成り立っているため、裁判の前に聖書に誓いを立てたり、面接で信仰対象を尋ねられたりするわけです。結婚する前や交際が始まって間もなくも、信仰の話題を避けることは難しい。例えばアメリカの面接で信仰対象を尋ねられて「無神論者」であることを伝えるにはそれなりの覚悟と気骨がいる。無神論者だと宣言するということは、「私には何の名においてでも守る精神性や道義心を持っていないので、いつあなたを裏切ったり不道徳な行為を行うかわからないよ。場合によっては刺しちゃうかもね。」と言っているようなものなのだ。
日本では信頼関係を築くために学歴をたずねる。「こいつは東大を卒業しているのだから、突然私を刺してきたりはしないだろう。」だとか、「偏差値30の高校しか出ていないなんて、まともな仕事を頼めないぞ。」などとの判断基準になる。
なので、ある意味キリスト教社会やイスラム社会で無神論者だと公言することは、日本で「中卒でーす!」と言っていることに近い印象を相手に与えていると思ってもいいのかも(笑)「それでもいいよ!」って言ってくれる雇い主もいれば、「今回はご縁が無く・・・」と拒絶される雇い主もいる。
ところで、大学制度が崩壊しつつある近代ではこの学歴信仰すらままならなくなった日本は、かつてのローマのように9室(教会)が威厳を失って国家が衰退するのかもしれない。9室を補おうとする国民的直観が、今の過激な保守や熱狂的な右派傾向を生んでいるのだとしたら、それは自然な流れなのでしょう。ただし、日本は古来から9室10室以上に3室4室の女神信仰と八百万の神、家族制度が屈強。だから、日本は個々人の努力や能力が平均的に異常に高い。それに首相が甘える構造。老人介護や保育やごみの分別や老後の貯金などの本来社会福祉が担うべき部分を大幅に国民に委ねている。逆にいえば、国民のほうでも、取り仕切って責任をとる支配的なリーダーをそもそも望んでいるわけではないのかもしれません。根っからの個人主義。危険なのは、行き過ぎた個人主義が個人の首を絞めている状況ですね。日本の創始図は、戦前も戦後も民衆を示す月が、風のサインにあることが興味深い。
さて、描き直されたタロットの「法王」に話しを戻しましょう。この建物は、千葉県の下総中山駅北側にある法華経寺にある聖教殿。下総中山には17年間住んだので、つい先日御礼参りに訪れました。モダンな石造りの聖教殿は、インドの建築様式である仏塔形式を取り入れた建物だそうです。塔身軒廻りには仏教における霊獣の石造が施されている。建物内部には、日蓮大聖人の御真筆などの宝物が収められています。
子供たちが小さいころは、よくこの建物の前で遊んだものですが、そこに仏教的意味を見出していたわけでは全くない。感覚としては、御鎮守様の境内で子育てさせていただいているというもののほうが近い。手を合わせたことは一度もないが、法華経寺の広大な敷地内部の広場にある建物なので、失礼のないように振る舞っていたような気はする。今回絵を描くまで、建物内部に日蓮様の御真筆あ収められていることだって知らなかった。しかし土地を離れて何年もたってから、ふとお礼参りしたくなるようなそんな場所です。私のつたない子育てを見守ってくださった感謝の気持ちの拠り所みたいな。
今回あらためて訪れてみて、この建物の神々しさに正直たじろぎました。そして、私の「法王」これでいいや!と心に決めたのです。
ここを訪れるちょっと前に、埼玉県の氷川神社で横尾忠則さんの御朱印帳を購入して、そのとき見せていただいた原画の印象が強すぎて、背景がその影響を受けています(笑)
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