2011年03月23日

私たちは何を捨てられないでいるのか

千葉県は昨日から雨。原発の事故があってから初めてのまとまった雨。東京都を始め関東の広範囲にわたって、生活用水に微量ではあるが、セシウムとヨウ素が検出されたとのニュース。水道水の汚染の基準や身体への影響には様々な見解があるが、全く安心して飲用できるというと嘘になる。

震災以来使えなくなったという給食室の都合で、高校生に加えて中学生もお弁当持参での通学。子供たちのお弁当の米を研ぎながら、この水が汚染されてるという心配をしなければならないことに改めて愕然とする。3月11日以前の我々のなんと恵まれていたことか。

我が家の界隈では震度6弱を記録したといわれる大揺れのときも、隣町が液状化していまだに断水が続いていることでも、津波の映像をみても、被災地での痛ましい生活を耳にしても、つい数日前に出た胃のバリウム検査の結果「多発性胃ポリープ」を目にしたときにも、たしかに恐ろしいと感じた。

けれども、自分が今研いでいる米の水、明日子供たちが口にする野菜を茹でた水、水筒に入れる氷、これらが安全ではないかもしれないと考えたときの恐怖は比べ物にならないほど重い。子供たちに汚染したものを食べさせたくない。これは母親が最も本能的に抱く根源的な恐怖ではなかろうか。

大都市をまかなうだけの代替エネルギーも提案せずに、闇雲に原子力発電を否定してはいけないという理性もあるが、子供たちの口に入るものが犯されているかもしれないという恐怖に比べたらどんな不便だってずっとマシだと強く思った。
そもそも、代替エネルギーが無いという洗脳事態、きわめて政治的な性質があり、技術力そのものとは相容れない構造を持っているため、クリーンなエネルギーの生産方法そのものがないとは、私は考えていない。もう何年も以前から安全で効率のよいエネルギーの生産方法事態はあるはずなのだ。

私たちは何に依存しているのだろう?
私たちが本当に恐れていることってなんだろう。
私たちが依存しているのは、「便利」でも「電力」でもないのかもしれないよ。
社会システムや政治が原子力に依存しているのだとすれば、そこには大金が流れる構造があるから。母や妻の不満足を満たすためにせっせと大金を持ち帰る必然性を感じる夫がたくさんいるということ。「便利だろ。豊かだろ。」という言葉の裏には「こんなに稼いだぞ。すごいだろ。ほめてくれよ。」という男根が潜んでいるのだ。そういうことをさせているのは、母親の業。ほめてもらおうという執着が生んだシステムなのに、「便利なんていらない」「こんなものちっともすごくない」と不幸な顔をするのもまた女です。男女とはかくも悲しいものなり。

「悪魔」のカード途中までで、これから停電。
このカード描くのはしんどいです。依存とか力というテーマに向き合うの苦手。

なんか、少年少女向けの探偵小説の表紙っぽい画風に。これからいろいろ調整しないとだな。
鎖かくのめんどくさ。

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posted by emi at 18:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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